どうも~♪ 本のソムリエ(見習い補佐)のだるまです。
今までたくさんの本を読んできましたが、そのうちの半分ほどが小説(児童文学、ノンフィクション含む)でした。小説を読むことでさまざまな世界を疑似体験でき、多様な心情や思想に接する機会が得られます。
ということで、今回は私がこれまでに読んできた小説の中から『特にオススメしたい作品』を10冊紹介したいと思います。
※小説以外のオススメ本も紹介していますよ。よろしければこちらもどうぞ~
⇒「これだけは読もう! おすすめ必読書TOP10(前編)」
それでは、さっそくいってみましょう~♪
発表っ!!だるまのオススメ小説TOP10(前編)※順不同
① モ モ / ミヒャエル・エンデ
時間ドロボウと不思議な少女
< あらすじ >
円形劇場の廃墟に住みついた女の子・モモ。身寄りのないモモを近くに住む人々は優しく迎え入れる。貧しいなりに助け合い楽しく暮らしていたが、「灰色の男たち」が現れ人々に ”時間貯蓄” を迫るようになる。
豊かな暮らしに憧れ誘いにのる人々だったが、しだいに怒りっぽく落ち着きがなくなっていく。モモはこの異変の原因が人々の ”時間” が盗まれていることにあると気づき、みなの ”時間” をとり戻すために立ちあがる・・・
< 感 想 >
子供向けとはいえ、大人が読んでも考えさせられる作品です。この物語では ”時間” をどう捉えるかということが大事になってきます。「灰色の男たち」やその口車に乗せられる人々は、数字で表せるもののことを ”時間” だと思っています。でもモモにとっての ”時間” は心のゆとりや充実感のことです。
現実でもこの物語と同じようなことが起きています。文明が発達し物質的には豊かになっても、睡眠時間は減りストレスはどんどん増えていきます。人間関係も希薄になり、自分が本当に好きなものがわからないという人が大勢います。
何も持ってないように見えたモモがそのことを誰よりも理解し、豊かに見えた人々を窮地から救おうとします。この物語にはこうした逆説的な演出が多々あります。モモの頼れる相棒が動きの鈍いカメだというのも面白いですね。
ゆっくり歩けば歩くほど、早く進みます。急げば急ぐほど、ちっとも前に進みません。
② 影との戦い / アーシュラ・k・ル=グウィン
力の代償とその和解
< あらすじ >
ゴント島で生まれ育った少年ハイタカ。彼は幼くして魔法の才に目覚め、ロークの学院で本格的に学ぶ機会をえる。しかし傲慢さを抑えきれず危険な魔法を使ってしまう。
意図せず呼び出された「影」は荒れ狂いハイタカに深い傷を負わす。学院を出たあとも「影」に怯え暮らしていたが、師オジオンの助言をうけ「影」に立ち向かうことを決意する・・・
< 感 想 >
特に印象深かったのは、魔力がありながらも安易に使おうとしないハイタカの師オジオンや学院の長たちです。彼らは力を使用すれば必ずその代償を払わねばならないことを理解しています。
天候を変えれば他所で災害をもたらし、他のものに姿を変えれば自分自身を失ってしまう危険性があるのです。目先のことだけでなく世界全体の均衡を考えねば魔法は使えません。
さらに、この物語は決して「光 vs 闇」という単純な構図にはなっていません。ただ闇を否定するのではなく、自分の愚かさや過ちとも向き合い和解する ー その先にハイタカの成長があるのだと思います。
『ことばが発せられるためには静寂が必要だ。前にも、そして後にも。』
シリーズ化(全6冊)されている本作ですが、私はこの1作目がもっとも好きです。
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③ 動物農場 / ジョージ・オーウェル
革命の成れの果て
< あらすじ >
『すべての動物が自由に暮らせる理想世界を!』 ー 老豚メジャーの話に触発され、動物たちは飼われていた農場で反乱をおこす。
人間を追い出し、賢い豚たちを指導者にした「動物農場」は理想郷になるはずだった。しかし次第に豚たちが横暴になり、動物たちは以前よりも過酷な生活を強いられるようになっていく・・・
< 感 想 >
老豚メジャーの掲げた理想は立派なものですし、人間に酷使されつづける動物たちの悲嘆さもよく伝わってきます。しかし元凶だと思われた人間たちを追い出しても、事態は良くなるどころか悪化する一方です。
理想だけを掲げ現実を批難するのは簡単です。しかし理想を実現させるのは簡単なことではありません。特に「潔癖な理想」というのは「玉石混交の現実」と相性が良くありません。両者の橋渡しを上手にできる人がいればいいのですが、なかなか難しいですね。
空腹と辛苦と失望、これがいつも変わらぬこの世の定めなのだ
それにしても動物たちの騙されやすさには呆れてしまいます。もっとも、現実でもマスコミの情報に簡単に流されてしまう民衆を見ていると『似たようなものかなぁ』とも思いますが。
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④ 人間そっくり / 安部公房
現実と寓話の境界線
< あらすじ >
ラジオ番組の脚本家のもとへ『自分は火星人だ』と名乗る男が訪ねてくる。頭のおかしな人間だと思った脚本家は、刺激しないように接しつつ追い返そうとする。
しかし「自称火星人」はあの手この手で居座りつづける。男の言動に翻弄された脚本家は、しだいに現実感を失っていき・・・
< 感 想 >
終始おかしな人間に絡まれる話なので、読んでいて非常にイライラします(笑)。理不尽な言いがかりばかりで、もはや自然災害のようです。男の手の平の上で踊らされているようで気味が悪く、読むのをやめたくなる人もいるでしょう。が、秀逸なのは終盤です。
話が佳境に入ると打って変わって、「現実」と「虚言」との境が曖昧に思えてきます。世界は相対的にできていて我々の認識や価値観も思っているほど確固としたものではない、ということに気づかされるのです。
『証明できるのは事実の関係だけで、事実そのものの証明なんて、犬は犬なり、というのと同じことじゃないですか。』
この現実の脆弱さを「自称火星人」は巧みに揺さぶってきます。私たちの周りにこんな男はいませんが、主人公と同じような深みにハマっている人は少なくないのだと思います。
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⑤ シッダールタ / ヘッセ
等身大の聖者
< あらすじ >
バラモン(司祭)の子として愛され育ったシッダールタ。恵まれた環境にありながらも彼の心は満たされず、友ゴーヴィンダと共に家を捨て苦行の道へとすすむ。
やがて教えを乞うことに疑問をもつようになり、自分自身の内なる声に従う決心をする。俗世へ浸り享楽のかぎりをつくしたシッダールタは、絶望の果てに一筋の川へと辿りつく・・・
< 感 想 >
シッダールタは欲望から離れるのではなくその中に浸りながらも尚、それを克服していきます。欲望を軽蔑し突き放すのではなく、人々の悩みも苦しみも醜さも全て受け入れ体感していくのです。
終盤では川の渡し守(船頭)が関係してくるのですが、物語を通してまるで「俗世と涅槃」の渡し守をしているようです。両岸は川によって隔てられているように見えても、実は川によって1つにつながっているのです。
この欲望も満たされ、この苦痛も味わわれ、この痴愚も演じられることを欲した。
またこの話には生前のブッダが登場しますが、シッダールタは敬意をしめしつつもブッダとは別の道を選びます。ヘッセはシッダールタに「東洋と西洋」との橋渡しもさせたかったのではないかな ー と私には思えました。
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(後編)につづく・・・
※(前編)では5作品を紹介しましたが、(後編)ではさらに残りの5作品を紹介していきたいと思います。引き続きお楽しみください♪
→リンク(予定)
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